急遽シンガポールに出張することになったから、急いでシンガポールの歴史を勉強しておかないと!
とはいえ時間もないから、飛行機の中でさくっとシンガポールについて要点を解説してくれる記事がないかな・・・
それならシンガポールに留学と駐在していたことがあるから任せて!
観光客ではなく、出張者が知っておくべき歴史に絞って解説していくで。
- 日本からの出張者として知っておくべきシンガポールの歴史
- 出張中に時間があればぜひ訪問したい場所
- シンガポールでビジネスを展開するうえで知っておくべき企業
シンガポールは、わずか200年足らずの間に、イギリスの植民地支配、日本軍の占領、マレーシアからの独立、そして目覚ましい経済発展と、様々な出来事を経験してきました。
この記事では、日本からシンガポールへ出張者向けに、ビジネスの観点から知っておくべきシンガポールの歴史を分かりやすく解説します。
シンガポールの歴史を理解することで、ビジネスシーンでの会話も弾み、出張が有意義になるでしょう!
シンガポール基本情報
面積:約730平方キロメートル(東京23区よりやや大きい)
人口:約590万人(2023年)(兵庫県よりやや多い)
主要産業: 金融、貿易、製造業、観光業
通貨:シンガポールドル (SGD)
民族:中華系約74%、マレー系約13%、インド系約9%など
言語:英語、中国語、マレー語、タミル語(全て公用語)
宗教:仏教、イスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教など
シンガポールの歴史年表
シンガポールの歴史は日本が弥生時代だった3世紀まで遡りますが、時間のない出張者向けには1800年以降の近現代史に絞って解説していきます。
まず最初に頭に入れておきたいのは「シンガポール」として正式に独立した1965年以降の一人当たりGDPの推移と歴代の首相です。
グラフから一目瞭然ですが、シンガポールは1965年以降、歴代の首相の力強いリーダーシップの下、目まぐるしい経済成長を遂げた結果、一人当たりGDPでは日本を上回るようになっています。
え!シンガポールは右肩上がりなのに対して、日本はバブル崩壊以降停滞しているのが鮮明だね・・・
シンガポールの歴史を理解すれば、その違いがなぜ生まれたかがよくわかるから、ぜひこの記事を最後まで読んでみて。
まずはシンガポールと日本の歴史を並列した年表がこちら。
年 | シンガポールの歴史 | 日本の歴史 |
---|---|---|
1819年 | ラッフルズ卿がシンガポールに上陸し、自由貿易港を開設。 | 江戸時代後期。鎖国政策が続く。 |
1867年 | イギリス直轄植民地となる。ヨーロッパとアジアを繋ぐ中継貿易港として発展。 | 江戸幕府崩壊、明治維新。近代化が始まる。 |
1942年 | 日本軍占領下となる。「昭南島」と改称され、過酷な統治が行われる。 | 第二次世界大戦中。太平洋戦争が激化。 |
1945年 | イギリス軍政復帰。戦後の復興が始まる。 | 第二次世界大戦終結。焼け野原からの復興を始める。 |
1959年 | シンガポール自治州となる。リー・クアンユーが初代首相に就任。 | 高度経済成長期。家電製品や自動車産業が発展。 |
1963年 | マレーシアに加盟するも、民族対立などから2年後に独立。 | 東京オリンピック開催。新幹線が開業。 |
1965年 | マレーシアから独立。資源に乏しい中、工業化と外資誘致で経済成長を目指す。 | いざなぎ景気で「3C」(自動車・カラーテレビ・クーラー)が普及。 |
1980年 | 日本をモデルとしたルックイースト政策開始。日本の技術や勤勉さを学ぶ。 | プラザ合意で急速な円高に。 |
1991年 | ゴー・チョクトン首相就任。 | バブル崩壊。経済が低迷期に入る。 |
2004年 | リー・シェンロン首相就任。 | 新潟中越地震。 |
2024年 | ローレンス・ウォン首相就任。 | 能登半島地震。 |
日本の年号はおおよそで、時系列の感覚をつかむための参考程度です。
日本人が訪れるべき歴史的建造物
シンガポールには、歴史を感じさせる建造物が数多く残されています。
出張の合間や週末に、これらの場所を訪れて、シンガポールの歴史に直接触れてみてはいかがでしょうか。
でも出張中は観光している時間があるかな・・・
これから紹介する都心にある場所なら、平日の夜や、ランチタイムのすき間時間にも行けるよ。
都心部にあり最低限行きたい場所
以下の3箇所は、さくっと行ける場所にあるので、ぜひすき間時間に訪問しておきたい場所です。
どこもビジネス街にありますので、訪問先オフィスへの道端で発見できるかもしれません。
それぞれの場所をクリックすればGoogle Mapsに飛びますので、行き方の参考にしてみてください。
ラッフルズ卿上陸地点 (Raffles’ Landing Site):シンガポールの創設者、トーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿が初めてシンガポールに上陸した場所。イギリス東インド会社の拠点としてシンガポールを開港し、自由貿易港とすることで、アジアにおける貿易の中心地としての発展を促しました。
ヨーロッパとアジアを繋ぐ中継貿易港として栄えた宿命を背負っているシンガポールは、現代の国際政治や地政学でも中立的な姿勢を貫いているよ。
戦争記念公園 (War Memorial Park): 第二次世界大戦で犠牲となった軍人や民間人を追悼する公園。静かな環境で、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて考えることができます。
白い4本の塔は、第二次世界大戦中にシンガポールで犠牲になった4つの主要な民族(中華系、マレー系、インド系、欧州系)を象徴しているよ。
関連記事:【シンガポール】JWマリオットのラウンジを写真で徹底解説
- シンガポール国立博物館(National Museum of Singapore):シンガポールの歴史や文化を総合的に学ぶことができる博物館。Team Labによる幻想的な展示もあるので、子供から大人まで楽しめます。現地で購入すると大人チケットは10SGDですが、Klookなら事前予約と日本円での決済が可能です。
Klookはシンガポールのみならず世界中で割引チケットが購入できるから重宝するよ!
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郊外にあるので時間があれば行きたい場所
以下はかなりマニアックな場所なので、時間と興味があれば訪問してみてください。
初のシンガポール出張でここまで知っていたら、シンガポール人にも驚かれること間違いなし!
日本人墓地公園(Japanese Cemetery Park): 19世紀後半から「からゆきさん」と呼ばれアジア各国に出稼ぎに行った娼婦や労働者、さらには第二次世界大戦の戦没者が眠っています。日本人作家の二葉亭四迷の墓もここにあります。
からゆきさん(唐行きさん)は日本の九州地方で使われていた言葉で、19世紀後半、主に東アジア・東南アジアに渡って働いた日本人労働者のことを指す。
出所:Wikipedia
アメリカに行くことを「渡米」と言うように、シンガポールに行くことを「渡星」と言うのは、今も昔も日本人が「星」として夢をみた場所だったんだね。
クランジ戦没者墓地(Kranji War Memorial): 第二次世界大戦で戦死したイギリス連合軍兵士を祀る墓地。
日本軍がマレーシアの南端、ジョホールバルからシンガポールに上陸して南下してきた時の経緯が細かく説明されているよ。
旧フォード・ファクトリー(Former Ford Factory):1942年2月15日、イギリス軍が日本軍に降伏文書に署名した場所。降伏文書の複製や、当時の写真、映像などが展示されています。
正直ここはかなり残酷な描写もあるところだから、覚悟して行くべきところかな。
イギリス軍統治下のシンガポール
イギリスの植民地時代は、シンガポールの近代化の礎を築いた時代です。
1819年、イギリス東インド会社のラッフルズ卿がシンガポールに上陸し、自由貿易港を開設。マラッカ海峡という地理的な優位性を活かし、瞬く間に貿易の中心地へと発展しました。
1910年の頃のシンガポール川は、中国本土やヨーロッパからの商人達でに混雑していた分、衛生面も良くなかったんだ。
今では金融街の下に飲み屋街があって綺麗なシンガポール川だけど、川を綺麗にするのは大変だったみたい。
イギリスの統治により、シンガポールはアジアにおける重要な拠点としての地位を確立。
当時のシンガポールは、中国、インド、マレーなど、様々な地域からの移民・商人が集まる多文化社会でした。
特に中国南部の福建省や広東省などから多くの移民が多く、シンガポールでは華僑として独自の経済や文化を発展させていきました。
シンガポールに限らず、東南アジアでは華僑のネットワークが超重要。
移民としてのハングリー精神と仲間意識が華僑の経済的成功を支えたと言われているよ。
しかし、その結果治安が乱れたことを懸念したラッフルズ卿は、「ジャクソン・プラン」を策定し、民族別に住むべき場所を整理しました。
今でもチャイナタウンは中華系、ブギスはマレー系、リトルインディアはインド系に集中していて、それぞれが独自の文化を発展させながら観光地として賑わっているよ。
多様な文化が共存するシンガポールの特色は、この時代に生まれたと言えるでしょう。
さらに、当時のイギリス式法制度や教育システムは、シンガポールの社会基盤を形成する上で大きな役割を果たしました。
英語もイギリス英語だもんね。
イギリス統治時代の建物は、現在もシンガポール各地に残っており、当時の面影を偲ぶことができます。例えば、ラッフルズホテルは人気の観光スポットとなっています。
シンガポールに限らず、東南アジア各地に植民地時代の建物が残っているよ。
日本軍統治下のシンガポール
時は第二次世界大戦まで進み、日中戦争で欧米からの経済制裁で資源の輸入ができなくなった日本軍は、東南アジアから資源を獲得するために南下を進めました。
そして1942年2月15日、日本軍はシンガポールを占領。
今でも2月15日は、「Total Defense Day(国防の日)」として、日本軍によるシンガポール占領の開始を記憶し、国防の重要性を再確認する日になっているよ。
イギリス軍の拠点であったシンガポール陥落は、当時、世界に衝撃を与えました。
日本軍はシンガポールを「昭南島」と改称し、軍政を敷いただけでなく、「昭南神社」を建立してシンガポールの人々に対して、思想統制や言論弾圧を行いました。
昭南神社はもう取り壊されているけど、手水舎だけは今でも残っているよ。(現在は立ち入り禁止エリア)
日本軍統治時代は、中国本土を支援していると思われた華僑を中心に、多くの住民が虐殺や強制労働などの被害を受けました。
特に、華僑から中国本土への支援を断ち切るために行った華僑粛清事件は、5万人以上の犠牲者を出した悲劇として記憶されています。
シンガポール初代首相であり「建国の父」と呼ばれることになったリー・クアンユーは、この華僑粛清をギリギリ逃げ切ったらしい。
この時に華僑粛清事件の被害者になっていたら、世界史が変わっていただろうね・・・
シンガポールの人々にとって、3.5年間の日本軍統治時代は「シンガポール史上最も暗黒の時代」として記憶されています。
マレーシアからの独立後のシンガポール
一時的にイギリスの直轄植民地に戻ったシンガポールは、1959年にイギリス連邦内で自治領として独立しました。
しかし、シンガポール単独では国家として生存していくには小さすぎると判断し、シンガポールはマレーシア連邦の一部になることにしました
しかし、マレー系を中心とするマレーシアと華僑を中心とするシンガポールの間には民族対立が発生。
1965年8月9日、シンガポールはマレーシアから追放される形で独立せざるを得ない状況になってしまったのです。
普段は口調の強いリー・クアンユー初代首相も、この時は不本意すぎて泣きながらの独立宣言となってしまったんだ。
周囲をマレーシアとインドネシアという大国に囲まれた小国は、独立当初、多くの困難に直面しました。
資源に乏しく、防衛力も脆弱なシンガポールは、まさに「崖っぷち」の状態でした。
リー・クアンユー初代首相は、天然資源に乏しいシンガポールを、人材育成と外資誘致による工業化で発展させる道を選択。
教育制度の改革、インフラ整備、汚職撲滅など、様々な政策を断行しました。リー・クアンユーの強力なリーダーシップの下、シンガポールは急速な発展を遂げました。
圧倒的な「危機感」があったからこそ、まさにおしりに火が付いた状態で急成長していったんだ。
彼の政策は、時に厳格で批判を受けることもありましたが、結果としてシンガポールの繁栄に大きく貢献しました。
なるほど、だからシンガポールは今でもポイ捨てに厳しい罰金を科しているのかな!
その通り、こういった歴史を知っておくと、短期間の出張や観光でも有意義な時間になると思うよ。
リー・クアンユー初代首相の壮絶な人生については、小学館の伝記漫画にもなっていてすぐ読めるからこの本がオススメ。
リー・クアンユー物語:国家を創った男
厳しい政策と国民の努力により、シンガポールは驚異的な経済成長を遂げ、「シンガポールの奇跡」と呼ばれるようになりました。
現在では、世界有数の金融センター、貿易拠点として、その地位を確立しています。
「シンガポールの奇跡」の象徴とも言えるマリーナベイサンズの裏には、
世界中からの貿易船が常に往来していて、シンガポールが貿易立国であることが良く分かるよ。
知っておくべきシンガポールの企業
シンガポールには、政府系企業を中心に、多くの有力企業が存在します。
これらの企業は、シンガポールの経済発展を支える重要な役割を果たしているので、商談の中で固有名詞が出てきたらピンとくるようにしておくと良いでしょう。
テマセク・ホールディングス:シンガポール政府が所有する投資会社。世界中の様々な企業に投資を行い、シンガポールの経済成長に貢献しています。
関連記事:テマセク系、日本特化100億円ファンド 新興企業に投資
GIC (Government of Singapore Investment Corporation): シンガポール政府の外貨準備を運用し、長期的な安定収益を確保することを目的とした組織です。日本の不動産や株式にも投資しており、投資先ポートフォリオは世界中に存在します。
関連記事:シンガポールGIC、日本の不動産投資に積極姿勢-入国緩和が後押し
シンガポール航空:世界トップクラスのサービスと安全性を誇る航空会社。シンガポール航空は、数多くの賞を受賞しており、その快適な機内環境と質の高いサービスは、世界中から高い評価を受けています。
関連記事:シンガポール航空、世界ランキング2位 全日本空輸は4位
キャピタランド:アジア最大級の不動産会社。シンガポール国内だけでなく、世界各国で不動産開発や投資を行っています。キャピタランドは、高品質なオフィスビルや住宅、商業施設などを開発しており、シンガポールの都市景観形成にも大きく貢献しています。
関連記事:キャピタランド、日本不動産に的 シンガポール大手、投資2.7倍に 渋谷でオフィス兼アパート
DBS銀行(Development Bank of Singapore):シンガポール最大の銀行。アジア太平洋地域を中心に事業を展開しており、シンガポールの金融センターとしての地位向上に貢献しています。DBS銀行は、革新的な金融サービスを提供しており、デジタルバンキングの分野でもリーダー的存在です。
関連記事:営業担当者はAI、DBS大変身 産業銀行がアジア最先端に
DBS銀行のデジタル戦略は日本でも本になっているくらい有名だから、金融業界の人はぜひ読んでみて!
『DBS 世界最高のデジタル銀行: テクノロジー企業を目指した銀行の変革ジャーニー』
番外編:マーライオンの歴史
マーライオンは、シンガポールの象徴として、世界中から愛されています。
1964年、シンガポール観光局のシンボルマークとしてデザインされました。ライオンの頭と魚の体を持ち、シンガポールの歴史と未来を象徴しています。
「シンガ」はライオン、「プーラ」はサンスクリット語で「都市」を意味し、マーライオンは「ライオンの都市」というシンガポールの別名を表しています。
1972年、マーライオン公園に像が設置され、人気の観光スポットとなりました。
今の場所に移転してからは、「世界三大がっかり」とは呼ばれなくなったよ!
マーライオンから勢いよく噴き出す水は、シンガポールの発展と繁栄を象徴していると言われています。
2002年、マーライオン公園は、現在の場所に移転しました。マリーナベイ・サンズを背景にしたマーライオンは、さらに魅力的な観光スポットとなりました。夜景も美しく、シンガポールの新たなシンボルとして親しまれています。
まとめ|危機感が原動力
シンガポールは一貫して、資源に乏しい小国であるが故に圧倒的な危機感を原動力として目覚ましい経済成長を遂げ、今日の繁栄を築き上げました。
その危機感は世界のみならず、個人でも見習うべきではないでしょうか。
たしかに、これは実際にシンガポールに行ってみるのが楽しみになったよ!
本当はもっと深い歴史があるけど、今回はこれくらいにしておこう。
ぜひシンガポールで「星」を掴んできて!
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